市田柿のふるさとウェブ版
豆知識「なるほど!!市田柿」
人力で運ばれた試験場の市田柿
長野県立農事試験場下伊那分場(昭和五十五年に長野県南信農業試験場に改称)が開設されたのは大正十五年(一九二六)です。当初、各部所は下市田を中心に分散して設置されました。園芸部があったのは、国道一五三号線の出砂原交差点の付近です。その後、三六災害と呼ばれる昭和三十六年(一九六一)の梅雨前線豪雨で本部の建物が被害にあったことや、国道の開通に伴う宅地開発などの理由から、昭和五十年(一九七五)、現在の場所に移されました。
移転の際、優良母樹に指定されていた市田柿の木は人力で運ばれたそうです。併設されている農業大学校の生徒とともに根の回りを掘り下げ、トラックへ乗せて移植しました。樹齢五十年を超す古木でしたが、有機肥料や水やりなどの丁寧な管理により、今もなお元気に実をつけています。