「市田柿」発祥の里 長野県高森町-市田柿のふるさと(ウェブ版)

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市田柿のふるさとウェブ版

第4章 寄稿・資料編(先人の軌跡をふりかえる)

【寄稿】

市田柿発祥の里としての市田柿の将来

羽生義雄

羽生義雄

市田柿は、東京を中心にした関東地域で、最近の自然食ブームと、ほかの果物には類を見ない素晴らしい甘味と、栄養価の高い果物であるので、たいへん人気が出てきています。

柿の表面が粉で白く、中から飴色が透けて見える市田柿特有の干柿は、他県産の柿より見た目が良く、食欲を誘い、食べても柔らかな上に、実に甘くて美味しいので、食べた方々から、市田柿は値段が高いが、やはり楽しみで買っていると、たいへん好評です。

ところで、近年このような人気の背景で、横浜、鎌倉などのスーパーでは、高値の時は、一パック八百?九百円でしたが、高森会(関東地区)※の会員の話では「大宮では千円もしていたんですよ!」と言っていました。その時の生産農家の出荷値は、同程度入り一パックが四百五十円前後でしたので、店頭では何と二倍以上の値段で売られていた訳です。

市田柿発祥の里としての市田柿の将来

しかし、生産農家が市田柿として出荷するまでには、冬の元肥を施してから、パック詰めして出荷までの加工工程は、十五工程以上もあって、その上人手が減少の農家では、最近の消費者の衛生面の向上による要求で、その工程も増えてたいへんな労力を擁しています。それでいて、最近の温暖化により、乾燥が失敗すれば、これらに要した労力は無駄になってしまうことがあるのを考慮すると、店頭価格に対する生産者の出荷価格はあまりにも低く、店頭では儲けすぎていると言わねばなりません。

高森町は、町制施行五十周年を機に、「市田柿の由来研究委員会」を発足し、幾多の研究委員会を経て、寺院、旧家などの古文書と、古い郷土史家の資料などと、これらにかかわる所への視察により、「高森町下市田の間ヶ沢の地籍が市田柿の発祥の里である」ことを確認するに至っています。

市田柿発祥の里としての市田柿の将来

市田柿は、このような歴史の中で、先人たちがたいへんな努力によって発展させた訳で、この努力を無にすることなく、発祥の里を守り、かつ将来に向け更なる上質な柿へと研究開発し、販売方法を地元で直売し、PRや口こみにより、お客様を多く呼び込み、生産者の収入増と、町の発展へ努力する必要があります。

最近の物流の変化は、インターネットによる個人やスーパーへと直送することが広まってきました。人気があればお客様は口こみで、自家用車、また観光バスで、観光を兼ねて産地へ直行し、目的品を買って行きます。また、企業はPRで工場見学を兼ねた観光を、観光会社と組んで行う傾向になってきています。

高森町は、この点に鑑み、「市田柿発祥の里の保証付き市田柿」を、高森町で販売することが良いと思います。そして、その販売を兼ねて、高森町の歴史ある寺と神社、文化財への見学が楽しめ、同時期に好評の蘭の見学、南信の甘いリンゴや産直の新鮮な野菜は、喜ばれて買います。加えて白雪に覆われた南と中央の両アルプスと天竜川からなる伊那谷の雄大な景色が、お客様を満足させます。

昭和十年、市田村(現在の高森町)生まれ。特許庁で特許・実用新案の審査官、審判官を経て、(財)工業所有権協力センター勤務。羽生特許事務所を開業中に、高森町で「富本銭」が出土し、登録商標取得に携わる。平成十九年より高森会(関東地区)会長。市田柿の由来研究委員の一人。

柿すだれ

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