「市田柿」発祥の里 長野県高森町-市田柿のふるさと(ウェブ版)

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市田柿のふるさとウェブ版

第4章 寄稿・資料編(先人の軌跡をふりかえる)

【寄稿】

市田柿への改称のいきさつ

今川博司

今川博司

焼柿から市田柿というように改名されてから八十七年になる。その頃の飯田・下伊那地方は養蚕が盛んで、畑地は勿論のこと、水田までも桑が植えられて日本三大桑園の一つとされるようになった。平坦な所はいうまでもなく、浅い山間に至るまで桑々で、養蚕中心の当時はたいへん活気に満ちあふれていたようである。しかし一方では果樹栽培も芽生え、目を向ける先人も点在していた時代で、高森町歴史民俗資料館「時の駅」の資料にも見られるように指導的な決断やその奥技の程が伺える。

いつの時代もそうであるが、収益の多いものへ集中するのが世の中の常で、当時柿は土手果樹、庭果樹の域で、土手の小さい竜西一帯は伸びず、土手の大きい竜東一帯に栽培が伸びていったと思われる。この状態はそのまま今日に及んでいるようで、今もって竜東一帯に市田柿が多いのも、その頃の影響を伺うことができる。

市田柿への改称の動きは、いくつかの資料にも見られるように、地についた壮年団活動が大きな力となったようで、酒井安、上沼正雄、橋都正農夫氏等の活動につながったものと思われる。今回は市田柿改称と、橋都正農夫氏の及ぼした周辺への影響についてもふれてみたい。

お孫さんに当たる橋都正氏によると、正農夫氏は明治十三年(一八八〇)生まれで、松本中学校(現在の松本深志高校)から札幌農学校(現在の北海道大学)へと進み、北海道空知農学校教諭を経て、青森県農業試験場へ、ここで明治四十三年(一九一〇)まで勤めていた。その直後、和歌山県農業試験場長に三十四歳という若さで栄転している。一定の業績に見通しをつけると、後進に道を譲ったのが四十歳で、大正三年(一九一四)となっている。その後は海外へ足をのばされて、台湾精糖へ、大正八年(一九一九)には台湾精糖を退き、家族を実家に永住させるために一時帰国しているという。その頃から下市田の人達との交流を始めたようであるが、間もなくスマトラ興業(現在の横浜ゴム)へ単身赴任して、スマトラ│東京間を時々出張で帰国しながら、地域の人との輪と交流を続けたようである。たまたま帰国していた時、父・多賀司氏が急死されたのが大正十一年二月二十三日でこれを機に退職されたそうである。その後も多くの役職をされている。下伊那農学校教諭、下市田区長、百十七銀行支店長、下伊那郡蚕業組合会長、下伊那郡農会副会長(当時の会長は平野桑四郎代議士)などの要職を経て、昭和五年(一九三〇)には下伊那郡農会会長の頂点になるなどの経歴を持たれている。さらに長野県農事試験場下伊那分場の設立にも大きな役割を果たされたことも忘れてはならない業績の一つである。いずれにしても突出した力強さと決断力のある指導者像のようなものが伺われる。

この部分が少し長くなったが、市田柿改称への動きは先にもふれたように、壮年団からの要望を取りまとめて陳情したものと思われる。

ここで『長野県果樹発達史』の年表に入った経緯について述べておきたい。発達史は昭和五十四年(一九七九)に完成しているが、編集執筆の皆さんは、永井喬(元果樹試験場長で北大では橋都正農夫氏の後輩)、桃沢匡勝(元県園芸連会長、前経済連副会長で橋都正農夫氏の姉の長男)、三石勝治(元試験場兼元果樹専技)、柴本一好(元試験場兼元果樹専技)、広瀬健吉(果樹試験場長)、関谷一郎(農業試験場病虫部長)の方々で時間をかけて調査、執筆をされたことに特徴がある。私もちょうどその頃に果樹試験場兼果樹専技という立場にあったので、時々お手伝いをしていたので、多少の経緯を知る機会があった。
(一)市田柿命名についての申請については、永井喬、三石勝治の両氏からも聞いている。
(二)柿品種展覧会記録のコピーについて。

このコピーを三石勝治氏からいただいたが、私の書棚のどこかにあるはずであるが、現在のところこのコピーを見いだせずに残念である。私の記憶では大正八?九年(一九一九?二〇)頃から隔年開催であったように覚えているが、確か大正九年までは焼柿とされ、大正十一年(一九二二)、十三(一九二四)年の出品は市田柿になっていたと記憶している。

以上の二つの点から市田柿と改称された経緯をたどることができると思う。こうして『長野県果樹発達史』の大正十年(一九二一)の年表に「市田柿の名称定まる。古くは焼柿と称した」と、明記されている。

昭和二年、市田村(現在の高森町)生まれ。長野県立農事試験場に勤務。下伊那分場在職中に「長野県果樹発達史」の編集にかかわる。市田柿の生産者でもある。市田柿の由来研究委員会副会長。

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